わるもののテキトー折り紙日記2

趣味レベルの折り紙についてのブログです。   折り紙のコンセプトは 「一枚、不切にはこだわらない」ことと、 「誰でも折れる」ことです。

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閑話。自分のことなど。

さて、順番で行くと今日は天秤座なんですがちょっと間を置いて今日は少し別の話題を。

何故、私がわるものを名乗るか。について少し。

理由は幾つかあるんですが今回はあまり自分の内面に入り込まないところで。
私は「正義」という言葉が嫌いです。
自国の正義を掲げ、民間人を虐殺した某大国。
神の正義を掲げ、自らが神であるかのように若者に死を強要するテロリスト。
どっちも大嫌いです。
そんな大嫌いな正義に対するアンチテーゼ。
悪ですね。
私は傲慢な正義よりむしろ悪でありたいと思っています。

この話をするに当たり、折り紙をする人なら大抵知っている話ではありますがさらに少し。

正方形の紙を2枚用意してください。
一枚は2回三角に折って四角に開いてください。
基本1


鶴の基本形の途中ですね。

もう一枚は2回四角に折って三角に開いてください。
基本2


こちらは風船の基本。

そしたら、一度全部開いて、両者の折り目を見比べてみてください。

基本3


山折りと谷折りの違いこそありますが、同じ折り目がつくはずです。

人の生き方も同じです。
一見違う道を歩んでいるようでも実質が変わらないことって言うのは良くあると思います。
正義を掲げる人たちは特に、最初のステップが違うからと言って簡単に人を決めつけたりはねのけたりしがちですが、その前に少し考えてみて欲しいです。
自分の考えるような人生を他人が送っていないからと言って、それを否定する権利が貴方にありますか?
その人の目指すところと自分の目指すところが全く違うと確信を持って言うことがまず出来ますか?

正義とは甘美な毒、麻薬のようなものであると思います。
酔いしれ、自分を高めているように感じるかも知れませんが、その実自己を蝕んでいるかも知れません。
人を傷つけるとか、人のものを無理矢理に奪い去るとか、そういう絶対的な悪は許すべきではありません。
しかし、自分が正しいと信じて疑わないことはけっして良いことではない、それが私の、逆説的かも知れませんが信念です。

自分について第1回は、まあこんな感じ。

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  1. 2005/07/19(火) 09:59:04|
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閑話その2。生き物を殺すと言うこと。

また閑話を少し。

私は大学院で生物学を学んでいるものなのですが、
今日実験動物が薬剤に耐えきれずに死んでしまいました。
死なせてしまいました。
その1週間後には私が自ら殺す予定の動物ではありましたが、反省することしきりです。

いってみれば無駄死にだからです。

よく、生物学をやっている人間は実験動物を殺すことを何とも思わないと思っている人がいます。
確かに、我々は生き物を機械的に、大量に殺します。
でも、考えてみて下さい。
始めから生き物が嫌いな人間が、生物学などやるはずがありません。
本当は大好きな生き物を、我々も殺したくはないのです。

でも、物言わぬ生き物を理解するには、残念ながら殺さなくてはいけない。
苦しめた挙げ句、殺して、観察しなければいけない。
それが現実です。

「喰わない生き物は殺さない」という言葉があります。
我々はある意味、その言葉に従いたいと努力しています。
殺すからには、必ずそこから何らかの情報を得る。
その命をムダにしないために、知識という頭脳の栄養をとる。
その努力をしたいと考えています。


今回殺してしまった動物からは、残念ながら欲しかった情報は得られませんでしたが、代わりに致死量についての知見が部分的に得られました。
それをふまえて、次の動物は必要なときが来るまで殺さないようにしたいと思います。

栄養にしてあげなければ。


まれに、生まれてこの方生き物は殺したことがないと言い張る人がいます。
絶対にウソです。
人は多くの命を奪いながら生きています。
今、貴方の体の中でも、多くの命が奪われています。
必要のない命を奪うことはいけませんが、命を全く奪わずに生きていけると考えるのは間違っています。
人間は自ら栄養を創り出すことが出来ません。
必ず、直接ではないにしても命は奪わねばならない。
例えば菜食主義の方がサラダを口に運ぶとき、そのひと噛みひと噛みで植物細胞が死んでいます。
植物は細胞の一つ一つを生物と呼んでも構いませんから、それこそ無数の命を奪っているのです。
大事なのは命を奪わないことではなく、命の重みを受け止めて生きること。
そう思います。
自然の摂理


生きるために他者の命を奪い、その重みを受け止めて生きる。
それが理解できていれば、簡単に他の人を傷つけたり楽しみのために生き物を殺すなどと言うことは出来なくなると思います。

すこし意見の分かれそうな内容でしたが、私の考えです。
ご意見等ありましたら是非お聞かせ下さい。
  1. 2005/07/23(土) 20:22:47|
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わるもの流折り紙

私の折り紙はかなりいいかげんです。

あまり理屈を追求していません。
現在主流となっている一枚折り、不切りにも全くこだわりがありません。
新しいのを考えるときには必ず実際に紙を折って考え、ソフトなどは使いません。

数学的に折り紙を解析し、理屈で折り紙をやることにも、
一枚の紙からハサミを使わずに複雑な形を創り出すことにも、
それぞれ楽しさはあると思います。

しかし、それは学問的・芸術的ではあっても、一般の人には手が出しにくいものです。

私はそう思います。

私の折り紙は、
「普通に文房具店で売っている『折り紙』で折れること」
「複雑な折りは避け、覚えれば誰でも折れること」
「折り上がりがある程度の大きさになり、飾って綺麗なこと」
にこだわりがあります。
そのために、複数の紙を組み合わせたり、必要最小限のハサミを入れたりは普通にします。
むしろ、日本の伝統芸能である折り紙のスタイルに近いのではないかと自分では思っています。


ただし、折り方に幅が出てくるので自分でも折り方を忘れてしまったり、
折るたびに少しずつ違っていたりするわけですが・・・・(>_<)

そして致命的な自分の欠点、それは・・・・
折り図を作れないことです。
(+Д+)∴∵ごふっ。
  1. 2005/07/27(水) 09:15:17|
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私事ですが・・・

明日、8月4日は私の誕生日です。
法律的には今日、年を取ったことになります。

・・・おかげさまで私も20歳に・・・
と、もう10年近く言ってきた気がします。(笑)

ま、外見はほんとにハタチくらいから全く変わってないわけですが。
むしろ今の方が若いかも。

イヤ、なんかもうマジで残り少なくなった20代の夏を、誰かと一緒に過ごしたい・・・・
でもリアルで女っ気がない・・・

と、いうことでリアルでデートしてくれる人を募集しています。


おごらねぇけどな。




今日のネタ:天馬
天馬


手抜き作品なのでこっそりアップ。
  1. 2005/08/03(水) 08:24:00|
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姉さん、事件です。

今日はもうホントに雑談。
折り紙とは全く無関係です。
ご勘弁を。

--
俺のアパートの駐車場はものすごく狭いんです。
そんな駐車場に、見慣れない車。
イヤ、正確には見慣れた車。
駐車料金払ってない車。
2件隣の部屋の女の子の彼氏の車です。
それだけでも許し難いのにこいつ・・・
狭い駐車場の通路に・・・はみ出てやがる。Σ(-_-メ)ピキーン
この、
この、若葉マークがぁぁぁぁ!!!!

と、思いながら、普段ならしなくて良い幅寄せを何度も何度も繰り返しておりましたら・・・

ガリッ。

Σ(-Д-;) ガーン

やっちまった・・・
しかも。

反対側の車に。orz

うちの電話から初めて警察やさんを呼んじゃったよ。
しかも、しかも。
暗くてよく分からなかったけど、
相手の車、代車だった。

もとから、傷だらけだった。

余計な請求来ないように写真を撮りまくり。

はぁ。
でも。でもさ。

・・・黙っててもわからなかったよ。絶対。

そういうとき黙ってられないのが
わるものクォリティなわけですが。(何か間違ってる)
  1. 2005/08/14(日) 00:13:38|
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終戦の日に

今日は終戦60年の記念日です。
多くの方が、様々な思いで今日の日を過ごされることかと思います。

私は、思想的には「やや右寄り」に当たります。
本格的な右の人からは「左の手先」と呼ばれ、
左向きな人からは「危険思想の持ち主」と呼ばれます。(T_T)

私は核兵器撤廃運動にはやや消極的です。
むしろ核弾頭を日本も最低2発は保有するべきだと思っています。
それを搭載可能な原潜も。

でも、こんなことを言ったあとでは説得力がないかも知れませんが私は絶対に戦争を起こしたくありません。
戦争行為自体には反対です。

悲しいことですが、理不尽な暴力にはより強い力で接するのが現在のところ最も効果的です。
国際関係ではもう少し複雑で、自国防衛のためには「相手には負けるかも知れないが少なくとも相手にダメージを与えることが出来る」だけの戦力さえあれば十分です。
それすらも放棄するべきだ、完全に武器を棄てろ、と言うのは簡単ですが、そうなれば武器を持つ他の国に簡単に占領されてしまうでしょう。
それがイヤだから、最低でも攻め込まれないだけの戦力を自国で有して今の平和を維持して欲しいと思っています。
平和主義者を主張する多くの人が誤解されていますが、国際社会では厳密にはルールがありません。無法状態なのです。
国と国との繋がりはあっても各国を完全に統制するより高次の政体が存在しない以上当たり前ではあるのですが。
国際社会におけるルールとは結局「国と国との約束事」に過ぎないのです。

「戦争は結局のところ殺しあいだ。そんなものにルールがあること自体おかしい。戦争そのものを禁止しないとダメだ」
と、言う人が居ます。

そんなもの、
当たり前です。言われなくても分かってます。

でも、残念ながら、現在まだ人類はその当たり前のことを実践できるところまで発展していません。
最終目標としてそれを持っていて、出来るところから始めようと言う考えを、彼らが否定するのが私には理解できません。
戦争にルールなんか、実はない方が簡単なのです。
軍隊はそれ自体何も生み出しませんから、戦争は「その国の生産能力の余剰」でしか行えません。
軍隊との交戦を徹底的に避け、戦闘能力のない民間人から確実に殺していけば、反撃する国力を奪い、確実に勝利することが出来ます。
爆撃による民間人の大量殺害を戦術レベルでなく、戦略レベルで行った第二次大戦のアメリカ軍がそういう非道な軍隊の近代における良い例でしょう。
国と国との争いは、あくまで国の機関である軍隊どうしで片を付けるべきです。
圧倒的な暴力で戦う力のない人々を殺傷する行為、すなわち民間人と軍人の区別は、すでに条約で定められていて、それが軍隊の行動の縛りにもなっています。
こうした「行動の制約」を少しずつ増やすことで、時間はかかるかも知れないですが確実に平和を築いていけると私は思っています。

核兵器も、保有するべきだと最初に言いましたが例え保有してもいずれ放棄するべきだと思います。
と、言うよりも、これも多くの人が勘違いしているのですが核兵器の撤廃はあくまで手段であって目的ではありません。
元来ハードウェアを禁止することには何の意味もないのです。
本当に禁止するべきは核というハードウェアではなく、「空爆」という攻撃方法、ソフトウェアなのです。
「攻撃手段」を禁ずることは単なる兵器の禁止よりもはるかに困難です。
その前段階として、現在最も強力な兵器を禁止する、それが核兵器撤廃の本来の目的のはずなのですが、多くの人がそのことを理解できていないように思えます。

未だ発展状況にある人類、無法状態の中で牽制しあっているまだ愚かな人類、そのことを考えたら、悲しいですが国を守る努力をしなくてはいけないと思います。
いざというとき、本当に我が国のことを一番考えてくれるのは結局そこに暮らす我々日本人なのですから、日本人自らが日本を守る気概を失ってはいけないと思います。

最後になりましたが、戦争で亡くなった方々がせめて平和に眠ることが出来ますように。
平和への祈り

  1. 2005/08/15(月) 10:09:00|
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気が付けば1週間

ちょっと油断すると一気に間があいてしまいます。
一週間更新さぼってしまいました。

今日はネタが用意できていないのですヨ。実は。
何を折るかでまだ迷っています。

自分のオリジナルじゃない作品でもどんどん載っけていっても良いんですがなんか自分的に一番自慢したい黄道12星座シリーズとかが埋もれてしまう気がして・・・
Σ(・∀・) おう?
そうか、「作品展示場」として別サイトを作れば良いじゃん!(・∀・)

と、言うことで近々作品展示場開設予定です。


あと小ネタでもつくろかな、また。
これの折り方も良いかも。
Leo


読者の方でリクエストある方いらっしゃいましたらぜひ御願いします。
  1. 2005/08/30(火) 08:42:50|
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今日は宣伝。

今、知り合いの人のやってる劇団が公演を行っている最中です。

http://www.venus.dti.ne.jp/~bo-tanz/flame.html

面白いのは絶対に保証します。
誰か見に行ってください。


て言うか・・・・友人・後輩を捕獲して連れて行くつもりが・・・
誰も捕まりゃしねぇ。
Σ(-Д-;) ガーン


S巻さん、宣伝したからカンベンして。(T_T
  1. 2005/09/01(木) 08:45:32|
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カトリーナ

今日は(も?)折り紙とは無関係。

アメリカ、ニューオリンズではえらいことになっていますね。
悲しい現実ですが、こうした災害が起きたとき、日本以外の国ではデフォルトで略奪が起こります。
みんなが辛いとき、助け合うよりも先に自分が生き残ることを考えるのは人間の本能なのかも知れませんがその結果かえって救援が遅れ、人々の苦しみはます一方。
災害が起きたとき、略奪という選択肢を思いつくことすらない我々日本人は世界的には甘ちゃんなのかも知れませんが、そういう発想自体育たない文化・風土が、サムライの国という伝統が、同時に我々の力であると思います。
同じようなことが日本で起きたとき、略奪などと言う恥ずべき行為が日本では起きないことを、心から祈っています。

私はアメリカという国は嫌いですが、そこで生きる人々を、仮にも同盟国である我々が見捨てるべきではないと思います。
郵政民営化なんてくだらないことを論議してるヒマがあったら自衛隊の1個旅団でも(出来たら1個師団でも)派遣するべきだと思うんですがねぇ。
  1. 2005/09/03(土) 22:16:53|
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嬉しいことなんだが

ここ2,3日妙にアクセスが多いな、と思っていたら何か小松さん(俺と同世代の人らしい)と言う人のブログの記事からリンク貼られていました。
軽く見た感じだと超理論派・一枚折りにこだわる人のページらしく、結構有名らしかったんですが、何しろ俺は群れるのが嫌いなので折り紙関連の学会なんかには一切関係を持ってないですし、その主張に従うつもりも、交流を持つつもりも(今のところは)ないので全然知りませんでした。(爆)
失礼でごめんなさい。m(_ _)m

と、いうかこのブログで紹介してる折り紙はプロの人から見たらムダ多すぎだと思うので何か恥ずかしい・・・・(-_-;;;

ま、まあほら、「文房具屋で売ってるような普通の紙で折る」「誰でも覚えれば折れる」「切った方が綺麗だったらガンガン切る」「一枚?組み合わせた方が綺麗じゃん」なんていう折り紙にこだわりを持つ人から見たらアホかと言いたくなるような主義主張ですからカンベンしてください。

そしてもう一つ驚いたのがこの小松さんという人のサイトは英訳されていて、外国の方も見てるんですね。アメリカ・台湾・スイス何かから見られてましたよ。びっくり。
ただ、「テキトー」が、"Beefsteak toe"と訳されていたのには爆笑しました。
「テキ」がビフテキ、「トー」がそのままtoeなんですね。翻訳ソフトGJです。(笑)


でも、これだけは言いたい。
これだけアクセス増えたのに・・・

誰一人広告クリックしてくれないのは何故ですか?(泣)
そして、誰もコメントくれないのは何故ですか?
(ノД`);・ウワアアン


・・・やっぱりもっと騙されて踏むような形にした方が良いのかしらん?(´・ω・`)
  1. 2005/09/13(火) 14:58:26|
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教育を考える

今、日本は少しおかしいと思う。
誰もがそう思っているだろう。

少数の自称良心派の似非人道主義者どもが自分たちの中だけで通じている「良識的な行動」を社会全体に無理矢理押しつけてきた結果だ。

例を挙げよう。
子供をしかるな、誉めてのばせ。

と、主張する連中。
お前らに言いたい。
確かに、誉めて伸びる子もいる。叱られると本気で凹んでしまって子供に深い傷を与えてしまうこともある。
だが、
常識の範囲内にある指導までも出来なくしてしまうとは如何なものか?
「高校野球の選手が監督に殴られました。これは大問題だ!!!」
・・・・
ハァ?(°Д°)
お前ら、アホですか?

親や教師にいわれのない暴力を振るわれて、心にも体にも怪我を負った子供を助ける手段、それは必要だと思う。そのことは問題ない。
しかし、厳しいスポーツの世界で、まして団体競技ともなれば、指導に従わない者に対して何らかの制裁を与えるのは当たり前、常識の範囲である。
これが、「制裁と称してコンクリの壁に顔面を叩きつけた」とか「気に入らない生徒を呼びだして個人的制裁を加え、腕ひしぎ十字固めで靱帯を伸ばし、二度とスポーツの出来ない体にした」とかだったら大問題だとして社会的にとりあげ、そうした暴力的指導者を排除する必要はある。しかし、一般に常識として通じる範囲のことまで、当事者の親バカな親が騒いだからと言って大きく取り上げ、結果全国の指導者が適切な指導まで出来なくなってきている現状をどう思うか?
指導者が子供に舐められたら、何一つ教えることなど出来ない。
一度でも人に何かを教えたことがある人なら判るだろう。
こちらをバカにしている相手に、どれだけ丁寧に教えようとしても相手は理解しようとしない。
子供の頃を思い出して欲しい。
「普段は怒らないけど、悪いことをしたら怒る」
という、叱る行為を伝家の宝刀にしている先生の言うことは素直にきかなかったか?
今の日常でもいい。
毅然とした態度をとる人には、不思議と従ってしまわないか?

・・・と、だいぶヒートアップしてきたところですがそろそろ仕事を始めないと俺の方がダメ人間になってしまうので、折り紙の話など微塵も出ないまま明日に続きます。(笑
  1. 2005/09/22(木) 10:29:34|
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教育を考える2

さて、昨日の続き。

文章はうまく繋がってないですがカンベンしてください。

そもそも、教育現場での体罰が取りざたされてきた頃からの「弱気な教師が子供を強く叱れない」状況が、叱るかどうかを決める教師個人の資質によるものではなくて「そもそも叱ることが許されない」妙な状況になってきたのはいつ頃からなのだろう?
私が子供の時分、せいぜい10年から20年前くらい前までは、生徒は教師を自分以下の存在などとは微塵も考えなかった。教師はあくまで指導してくれる人物であり、不満はあっても従うべき存在であった。
教師に、または校則に逆らえば当然制裁が待っていたが、逆に決まりを守りさえすれば反駁も許されていたし、我々子供自身に、またその親にも決まりを破ったのなら教師による制裁は当たり前という認識があった。

それが、一部の教師による行きすぎた体罰、暴力が世に知られるようになると、似非人道主義者のバカどもの声が急激に大きくなり、結果教師が子供に手をあげることは例え正当な理由があっても許されない風潮になってきた。厳密にいうと当たり前のことを大きく取り上げる知能の低い連中の声が大きくなった。
結果、どうなったか。
若者の質は落ち、教育レベルは有り得ないほどに低下した。
教育に制裁が必要ないと言い張る連中の、詰め込み教育は良くないなどと偉そうに言う連中の主張が間違っていたことは、既に時代が証明していると言っていい。
そもそも、教育の現場での暴力が問題になったとき、やるべきは行きすぎた暴力を行った者を徹底的に糾弾して、被害にあった生徒を救済できるシステムを作り上げることであったのに、その努力を怠り、必要な制裁と暴力を一緒くたに丸ごと禁止などと言う手抜きを行ったところにその原因がある。
悪いことを悪いことと教えるのに、何故躊躇しなくてはいけないのか。
キレる子供をなぜそのまま放っておくのか。
そんなのは教育ではない。


私ははわるものなので、世の中の流れに反していると知りつつあえて言う。
いい子を育てるだけなら、子供はなにをしても叩かなくてもいい。
でも、いい子をいい大人に育てたいなら、
悪ガキは殴って育てろ。
  1. 2005/09/23(金) 13:09:26|
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